第68回大会 ワークショップ「東日本大震災から見えてきたこと(5)」


〔アーカイブ・データ〕
・「第68回大会報告集」
・「会務報告」『倫理学年報』第67集(2018年3月30日発行)
・(当日資料)小野原雅夫「避難と帰還をめぐる分断―「てつがくカフェ@ふくしま」における対話より―」
・(関連論文)横山道史「リスク管理の私事化論と東京電力福島第一原子力発電所の事故」『立正大学哲学会紀要』第15号(2020年3月発行)


第68回大会報告集

東日本大震災から見えてきたこと(5)

実施責任者 高橋久一郎(千葉大学)

 震災から六年が過ぎ、大会時には六年半となる。長い目で見れば「忘れる」ことは大事なことであると思う。しかし、「しばらく」は忘れてはならないことがある。

 二〇一一年の大震災との関わりで、そこに露わになった倫理学の問題について「生命の倫理」の可能性と重要性という全体テーマのもとにワークショップを開催してきた。一昨年度まで三回にわたって「女こどもの倫理」という課題設定のもとに、子供を連れて「逃げた」母親たち、「留まった」母親たちが提示した問題を見てきた。必ずしも問題を「掘り下げ」たとは言えないが、継続のなかで見えてきたこともあった。他方では、残念ながら多くの人が「忘れてしまった、あるいは、忘れつつある」ということもまた感じないわけにはいかなかった。

 そこで昨年度は、さらに先に進む前に、現時点での問題を確認し明らかにするために、二〇一二年の大会の全体課題の問題意識を改めて振り返り、大会時の提題者二名(福嶋揚会員、宮野真生子会員)に再提題をお願いし、かなりの数の人が抱いている「希望とやましさ」について討論する機会を持った。
 その上で今年度は、改めて「避難と帰還」をめぐる問題を考えるために、具体的な場面で生じていることとそこから見えてくることについて小野原会員に、「リスクと管理の論理」が強力に展開しつつある中で、こうした視点から考えることの問題性について批判的な立場から検討している横山会員に提題をお願いした。
 
提題 「避難と帰還をめぐる分断―「てつがくカフェ@ふくしま」における対話より―」

小野原雅夫(福島大学)

 私は二〇一一年の五月から福島で哲学カフェを開催している。毎年三月には「〈三・一一〉特別編」を開催しており、二〇一七年三月には福島市出身の芸大生によるドキュメンタリー映画『たゆたいながら』を見た上で市民の皆さんと語り合い、避難と帰還をめぐる分断を目の当たりにすることになった。

 映画では、原発事故当時高校生で単身、東京に暮らす祖母のもとに自主避難させられた監督自身の体験や、家族を先に避難させ自らは福島に残って働きながら、家族とともに暮らすため週末に関西まで通って就職活動を続けた男性の話、自主避難への支援が二〇一七年三月をもって打ち切られることに対して戦う訴訟団の活動、福島の地にとどまり自らが経営する幼稚園の除染作業を独自に行い、子どもたちが再び外遊びができる環境を取り戻そうとした園長さんの姿などが描かれていた。

 映画を見た感想として、自主避難をしなかった福島市民の方から、「なぜ避難の道を選んだのか、苦労してまで避難しなければならなかったのか、そこが映画の中に描かれていないので、最後まで共感できなかった」という発言があった。私は避難しなかった者だが、当時全県民を避難させるべきだったと考えているので、小さい子どもをもつ人々が家族を避難させようとしたのは当然のことと受け止めていたが、福島市民の方ですらその心情を共有できていない(あるいは、もはや風化して共有できなくなってしまっている)ということに愕然とした。

 また、自主避難(の支援打ち切りを告げる福島県職員に対して避難者の方々が猛抗議するシーンに対して、「自分たちは避難したくてもできなかったのに、たまたま避難できた人たちがさらなる支援を望むなんて自分勝手だ」といった感想も聞かれ、これをめぐって参加者の間で対立が生じる場面があった。私の目にはその映画のシーン自体が意図的に作りだされた分断の象徴であるように見えた。その場には本来いるべき東京電力の関係者や、原発を推進してきた国の責任者はおらず、どちらも同じく被害者であるはずの、自主避難者と福島の職員とが対峙させられていた。「分割して統治せよ」は古典的な政治手法であるが、対福島政策においてはもののみごとに成果を収めてきている。「てつがくカフェ@ふくしま」ではこれまで、原発事故後の温度差や分断について繰り返し取り上げてきたが、奇しくも「てつがくカフェ@ふくしま」の中で、自主避難した者としなかった者(できなかった者)の間の分断が表面化することになった。自主避難者ばかりでなく、今後は避難指示の解除によって、放射線管理区域の線量を超える地域への帰還も強制的に推し進められていくことになるだろう。原発事故から六年が経過して、様々なことが風化し忘却されて、「復興」という名の過剰な正常化の波が福島にのしかかってきている。ましてや東京オリンピックに浮かれている日本国民が、福島のことや東北のことをさっさと忘れて、原発再稼働や憲法改正に向かってひた走ったとしても驚くには値しない。

 原発事故から二年目の二〇一三年三月に開催された「てつがくカフェ@ふくしま特別編3」では、テーマ設定をめぐって福島在住の世話人と東京在住の世話人との間で対立が生じたことがあった。前年末に行われた衆院選の結果を承けて、福島組が「福島は犬死にか?」というテーマを提案したのに対して、東京組がその過激なテーマに強い反発を示し、けっきょく「フクシマはどこへ?―怒りと絶望の淵から―」というテーマに落ち着いたのだが、福島組としては自分たち当事者の感じた切実な思いが、福島の外からは受け入れられないということに大きな苛立ちを覚えたものであった。その年の対話は、テーマ設定をめぐる対立をはじめに吐露することによって福島内外の参加者の本音を誘発し、たいへん盛り上がったものとなったが、あの時に感じた「犬死に」という思いは時を経るとともに大きくなっていることは間違いない。

 「長い目で見れば『忘れる』ことは大事なことであると思う。しかし、『しばらく』は忘れてはならないことがある」。たしかに震災の記憶についてはそう言えるのかもしれない。あの甚大な被害と喪失の記憶に人の心は堪えかねるであろう。しかしながら原発事故の記憶は「しばらく」忘れずにいればすむようなことなのだろうか。戦争や原爆や沖縄の記憶と同様に、福島の記憶はいくら忘れたくともけっして忘れてはならない人類の負の遺産のひとつではないだろうか。記憶に刻むことの大切さを参加者の皆さまとともに確認したい。
 
〈倫理とリスク〉を主題化するにあたっての予備的考察(仮題)

横山道史(成蹊大学アジア太平洋研究センター客員研究員)

 東京電力福島第一原子力発電所事故以後(以下、〈福島以後〉とする)、〈倫理とリスク〉はもっとも論争的な主題のひとつとなった。元東京都知事・猪瀬直樹は、二〇一一年四月二一日、twitter上で次のように述ぺている。

仕事をしない専業主婦は、パートでもなんでも仕事をして社会人になってください。数値の意味がわかるようになるしかありませんから。不確かな気分で子どもを不安にさせてはいけません(猪瀬直樹 twitter 2011.4.21)。

 この言葉を引用したのは、女たちが抱く不安や恐れの感情を「無知」だとして統御(管理)の対象とした猪瀬の性差別主義を指摘するためではない。また、「冷静に振る舞え、感情的になるな」という言明に典型的な「エリート・パニック」としての側面を看取しようとするものでもない。そうではなく、この発言に、〈福島以後〉に政府や専門家たちがさまざまな媒体で語った〈倫理とリスク〉をめぐるーつの典型的な問題が極めて明晰なかたちで露呈しているからにほかならない。

 まず、この発言が発せられることになったと考えられる背景を簡単におさえておこう。

 〈福島以後〉の日本社会では、事故によって拡散した放射性物質が、水道水や農産物などから検出される問題が発生していた。それを受ける形で、母乳検査を行っていた「母乳調査・母子支援ネットワーク」が、同年四月二〇日、福島市内で記者会見し、福島など四県の女性九人の母乳検査でーキロ当たり最大で三六・三ベクレルの放射性ヨウ素131が検出されたと発表した(翌二一日には厚生労働省にて同様の記者会見を行っている)。母乳検査の目的は、乳児の内部被曝を防ぐためであり、さらに、原爆症や水俣病などの過去の歴史に鑑みて、市民が放射線による汚染のデータを自ら作り出すことにあった。したがって、この後、多くの市民によって開始される放射線計測運動の端緒であったこの活動は、きわめて政治的な行為でもあった。

 猪瀬の発言について言えば、放射線計測運動を脱政治化しようとする意図があったかどうかは定かではない。しかし、少なくとも猪瀬の発言が、被曝社会において子どもたちを可能なかぎり被曝させないために逡巡・葛藤しながらも行動する親たちの行動を、むしろ被曝に対する過剰な反応だとして糾弾する性格をもったものであったことは確かである。

 放射線測定運動に代わって猪瀬が親たちに要求するのは、「数値の意味」を理解することである。もちろん、ここでの「数値」とは放射線量のことを指している。そして、「数値の意味」とは、〈被曝によるリスク〉のことである。この〈被曝によるリスク〉を理解すれば、放射線量を測定する必要がないことは明らかであり、返ってその行動が子どもに(あるいは社会に)不安感を抱かせる結果となる、そう猪瀬は主張している。すなわち、「数値の意味」を理解すること=〈被曝によるリスク〉について理解することと、その〈科学的〉な判断を基準にして、どのような行動をとるのか、あるいはどのような行動が望ましいと考えるのかとが、ここでは無媒介に結びつけられている。そのような〈倫理とリスク〉にかかわる問題が猪瀬の発言から看取することができるのである。

 こうした布置状況を、「生命の倫理とリスクの論理」の関係として整理を試みたのが高橋久一郎である。高橋は、日本倫理学会第六三回大会の共通課題「震災と倫理―絆・死別・物語りをめぐって」の報告のなかで、両者のかかわりを次のように素描している。「母親たちだけでなく、再稼働しないように求める人々に、そして今回の提題の幾つかにも見られた『生命の倫理』は、こうした事例においては『リスクの論理』が機能しないのでないか、あるいは、機能するまで使ってはならないのではないか」と。すなわち、高橋は、〈福島以後〉の倫理を考えるうえで、「リスクの論理」ではなく「生命の倫理」という価値が基軸になることを確認する。

 しかし、実のところ、高橋の主眼(関心)は、「生命の倫理」の側にあるのではなく、「リスクの論理」の側にある。高橋は、「リスクの論理は、ある意味で分かりやすい。…有効な分析の方法として盛んに研究されてきたし、実際、うまく使えば優れた分析の方法であるのだ」とし、さらに「必要ならば大きな枠組みの中でのそれらの位置づけを考え直す可能性についての議論を試みる」ことを提起している。

 本発表は、この高橋の問題提起を引き受けつつ、「生命の倫理とリスクの論理」を主題化していくうえで前提となる近代的概念としての〈リスク〉について検討する。というのも、高橋の述べるように、「リスクの論理」が単純明快で優れた分析手法であるならば、なぜこうも原発や放射線の〈リスク〉について意見の相違があり、かつ混乱した状況を生みだすに至ったのか、その説明がつかないからである。ドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」が〈包括的なリスク評価〉によって脱原発を提言するに至ったように、〈リスク〉は確率論的理解に限定されるものではない。そうではなく、〈リスク〉はそれを受容する主体や社会、あるいは文化の問題との関係で考察するべきものであることを論じる必要がある。それはとりもなおさず、〈リスク〉概念のもつ過度な客観的装いを脱色し、〈私たち〉にとっての〈リスク〉という経験(歴史的コンテキストも含め)を確立していく試みにつながるはずである。


関連資料

◆(当日資料)小野原雅夫「避難と帰還をめぐる分断―「てつがくカフェ@ふくしま」における対話より―」

◆(関連論文)横山道史「リスク管理の私事化論と東京電力福島第一原子力発電所の事故」『立正大学哲学会紀要』第15号(2020年3月発行)★当日の提題を踏まえて執筆された論考★
  ※リンク先:執筆(発表)者の承諾のもとテキストデータをアーカイブ


会務報告(所収:『倫理学年報』第67集(2018年3月30日発行))

高橋久一郎

 今年度は、昨年の震災五年後の「忘れられつつあること」についての「中仕切り」での議論を踏まえ、小野原雅夫会員による福島での会員の活動と現状を「避難と帰還をめぐる分断」として報告してもらい、横山道史氏には「倫理においてリスクを問題にすること」についての問題点を提出していただき、いくつかの論点について討論した。いつのまにか生じてしまった福島にいて福島について語ることの難しさについて、リスク管理の標準的な保険が成立しない原発についてそのリスクを語ることの問題ついて、九月に学術会議が報告を出した子供の被爆(甲状腺癌)の読み方と、そのリスクと原因の分析における疫学の意義についてなどが主な話題であった。時間的な制約もあり、それぞれの論点について充分な議論はできなかったが、来年度にむけて集約しているところである。