第70回大会 ワークショップ「東日本大震災から見えてきたこと(7)――女・こどもの倫理(5):「上関(かみのせき)原発の建設が問題とされている地で」」


〔アーカイブ・データ〕
・「第70回大会報告集」
・「会務報告」『倫理学年報』第69集(2020年3月30日発行)
・(当日資料)高橋征仁「放射能をめぐる沈黙と忘却」
・(当日資料)吉永敦征「原発に反対できる理由の無さについて」


第70回大会報告集

「東日本大震災から見えてきたこと(7)
女・子どもの倫理(5)一「上関(かみのせき)原発」の建設が問題とされている地で」

実施責任者  高橋 久一郎(千葉大学)

 このワークショップは主として「女・こどもの倫理」という副題のもとに「東日本大震災」において、中でも「福島原発事故」との関わりで浮かび上がってきた問題を考えるために、「避難」先での生活や福島の「現状」についての「事実」を確認するとともに、そうした「事実」を踏まえながら、この事故に向かう「倫理学」の立ち位置について意見を交換してきた。

 今回のワークショップでは、中国電力による「上関原発」の建設が問題となっている山口県での開催であることを踏まえ、情報を共有するという趣旨のもとに、山口県在住の高橋征仁・吉永敦征の両氏に、状況についての報告を頂くと共に、原発推進の動きについて、その論理を改めて検討したいと考えている。

「放射能汚染をめぐる沈黙と忘却」

高橋征仁(山口大学)

1. 電力マネーによる学会汚染―大学の先生なんてチョロイ、みんなすぐ転ぶ

 私が東北大学の大学院に在籍していた1980年前後の話である。中学時代の同級生であったK氏は、東北電力の社員として、女川原発のトラブル処理のため、東北大学の研究室をしばしば訪ねてきた。彼は、大学教員の生態を私に次のように解説してくれた。「大学の先生なんてチョロイ、チョロイ。みんなすぐ転ぶ。菓子折り持って行って、ちょっと持ち上げれば、自分のほうからすり寄ってくるよ」。

 今になって考えれば、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故は、日本の原子力事業に大きな歪みをもたらしていた。というのも、原子力発電システムの脆弱性の再点検(とは向かわずに、社会心理学の知見を活用した原子力PA(懐柔と世論操作)に、巨大な電力マネーが注ぎ込まれるようになったからである。こうした電力マネーを背景に、「社会運動論」や「公害問題研究」という研究テーマが解体され、代わって「環境社会学」や「環境倫理学」、「リスク心理学」、「科学技術論」などが台頭してきた。そして、この再編プロセスにおいて、被害者/抗議者としての民衆像は掻き消され、専門家の助言に従う「賢い消費者」像が構築された。

 こうした電力マネーによる汚染は、個々の研究者を超えて日本学術会議や文部科学省にまで及んでいる。問題なのは、多くの研究者がこうした経緯を知りながら誰も声を上げてこなかったこと、そして原発事故が起きてしまった今でも、利益相反のチェック方法や研究者の社会的責任が具体化されないまま、「外部資金獲得」の号令だけが鳴り響いていることである。スポンサーのための研究が横行するリスクは、研究者倫理の講習を受けたところで何ら低減されない。実際、「原発安全」神話を唱道した研究者たちは、原発事故後も、「放射線安全」神話にもとづく「リスク・コミュニケーション」を展開する形で、東電や政府、自治体の利益を代弁し続けている。

2. 弱い絆の強さ―日本の男は、組織にぶら下がってしか生きられない

 私が沖縄や岡山など遠隔地避難者を研究対象に選んだのは、M・グラノベッター(1973)のいう「弱い絆の強さ」の可能性を求めたからである。具体的には、どのような人が原子力PAによる世論操作に抗って避難行動を成しえたのか、また、その背景にあるリスク意識の個人差は、何に由来するのかを明らかにしたいと考えていた。東北で生まれ育った人間として、被災地の人々が、社会的インパクト理論や傍観者効果、アンカリングなどを駆使した「絆」キャンペーンに取り込まれるのは不可避であるように思われたし、「復興」の美名の下に再びリスク受忍を迫られることになるとも予感していた。

 遠隔地避難者たちと実際に接すればすぐにわかることであるが、彼女たちは、メディア・リテラシーや決断力が高い者が多く、「非科学的」「左翼」「神経症」といったレッテル貼りとは真逆の特性を持つ。このことは、自ら当事者団体を立ち上げたり、避難先で政治家になったりする者が多いことからも裏付けられる。子どもたちの未来の健康のために、これまでの被災地での投資を損切りできたか否かが避難行動の大きな分岐点であったと考えられる。母親たちは、不確実性下における意思決定の原則―後悔しない選択肢を選ぶ―に忠実であった。逆に言えば、多くの父親たちにとって、そうした決断は困難であった。福島大学のある女性教員(当時)は、「今回の震災で明らかになったのは、日本の男が組織にぶら下がってしか生きられないということだ」とその特性を看破している。

3. 分断と対立、疲弊―正義は、身近で弱い者へ暴力的に行使される

 私の研究の原点は、青年期における道徳性の揺らぎにある。E.H.エリクソンのアイデンティティ論やL.コールバーグの道徳的発達段階論をベースに研究を行ってきたが、1990年代後半には行き詰まりを感じていた。コールバーグ=ギリガン論争やハーバーマス=ルーマン論争が示しているように、大きな社会問題においては、正義とケア、信頼などの道徳的指向性が分断され、深刻な対立状況が生み出される。こうした理論的困難を救ってくれたのが、E.チュリエルの領域固有理論であり、それを進化心理学的に転換したJ.ハイトの道徳基盤論(モジュール説)であった。

 これらの理論にもとづけば、避難指示の有無や賠償をめぐる格差だけでなく、道徳基盤における個人差も、被災者同士の分断をもたらしている大きな要因である。「生活内避難」(佐藤彰彦2013)から遠隔地避難に至る様々な避難形態の連続性が見失われ、東電や政府、自治体などに向けられるべき批判が、家族や親戚、避難者となどの社会的弱者に向けられるようになった。

4.部屋の中の象―ぜんたい、この街の人は不自然だ。誰もあの事を言わない

 しかしながら、原発事故や放射能汚染のタブー化は、原子力PAの影響だけで成立しているわけではない。「健康被害なし」や「復興加速」といった原子力PAの言説は、日本中の人々の願望を汲み取っているために、広く浸透している。健康被害を受けた本人や家族でさえも、原発事故の影響を積極的に認めたがらない傾向が伺える。このように被災者がロを閉ざすことで、周囲の人々の忘却は加速し、問題は隠蔽されることになる。同様の現象は、こうの史代『夕凪の街桜の国』にも記されている。本報告では、最後に、こうした沈黙や自己欺瞞について、進化心理学的な説明を試みることにしたい。

「原発の推進をすることに反対する積極的な理由の無さ」

吉永敦征(山口県立大学)

 1.山口県における原発の歴史

 山口県上関町に原発の設置計画が浮上したのは1982年である。原発を誘致することで、過疎高齢化の状況を変え、雇用を増やし、高齢者に人並みの生活をしてもらうことが目的であった。多くの雇用が生まれ、インフラも整い、出稼ぎをしなくても子育てができるようになると思われたからである。だが、同年に祝島の住民が原発設置に反対の声を上げる。放射性物質の漏洩事故をおこした敦賀原発でたまたま配管工をしていた祝島出身の男性の声や、伊方原発ツアーに接待された住民が海の異変を感じ原発の危険性を主張したこと、また原発の町に若者が多いわけでもないことに気づいたからである。

 上関町祝島は万葉集にその名が歌われるほど歴史が古く、明治までは瀬戸内海の海運の要所として機能していた。しかし1980年の上関町は、高齢化率は全国平均の2倍の19%であり、人ロも5年で10%ずつ減少していた。スイシン(原発推進派)もハンタイ(原発反対派)も共にそうした地域の将来を憂いていた。歴史ある町の振興のために原発を選ぶという判断と昔ながらの自然と環境との共生を選ぶという判断がスイシンとハンタイの違いとなる。

 上関での計画以前に、山口県では1973年に田万川町に、1977年に豊北町に、1982年は萩市に原発の設置計画があった。これらの計画は、町長の判断、漁協による反対運動や反対派の町長の選出、土地の共有化で買収を困難にするといった運動により撤回された。こうした反対に対応する案を携えて中国電力は上関での設置を計画する。ハンタイとスイシンとの激しい争いは30年以上も続くことになった。その間に町民はつながりをほぼ分断され、ハンタイとスイシンの人々が交流したのは2回しか無かったという。一つは祝島で23年ぶりに行なわれた結婚式であり、もうーつは大分県国東半島の伊美別宮社との神舞の神事のときである[1] 。

 2011年5月に、福島第一原子力発電所の事故を踏まえ山口県知事は原発建設予定地の海域の埋め立て免許の失効を検討すると発表した。事実上の工事中断の宣言であった。ところが、7月の知事選後、新知事も失効を引き継ぐとしていたのだが、中国電力は免許の延長申請を提出し、県は補足説明を中国電力に求め、実質的な判断を先送りする。7回の補足説明の求めによる判断の先送りの後、山口県は2016年に埋め立て免許の更新を行った。この間に知事は交代し、政権も原子力発電についての方針を変更した。

 原発反対派は中国電力に対しては公有水面の埋立て延長を申請しないように働きかけ、県に対しては反対署名を提出し続けている。埋め立てについての膠着状態が続いている。水面権者への補償がなされない限り工事はできないから、ハンタイの住民は補償金の受取の拒否により反原発活動を継続している。この光景は毎年のように繰り返されており、もはや儀礼と化しているようにもみえる。

 2. ライフライン維持という理由による原発

 誘致の当初の目的は地域振興であったが、計画から37年が経過し上関町の人ロは半分以下、高齢化率は56%にまで上昇した。もはや上関は地域振興ではなく、生活のための補助金を必要とする状態である。実際、上関町への電源立地地域対策交付金の内訳は「バス運行業務委託」「町営墓地整備」「保健師3名の人件費」「僻地診療所運営」などとなっており、地域住民の高齢化対策という側面が見えてくる[2]。上関は過疎化・高齢化の地方の典型となっており、生活が成り立たなくなる状況が訪れつつある。

 東日本大震災以降、原発に対してはさまざまな指摘がなされている。自然エネルギーよりも高コストであること、原発停止後の設備維持や人件費のコスト、廃棄物の処理問題、事故想定や被害想定の甘さ、気温上昇や海面上昇への未対応などが挙げられている[3][7]。推進派がこれら事実によって考えを変える可能性がないとは言えない。しかし、住み慣れた環境で生活し続けるためには医療や公共交通機関が必要である。推進派が見ているのは「原発」そのものではなく、その先にある生活である。もし、原発が建設されるなら、2011年に棚上げされた13億円が交付されるだろう。必要な資金を得る他の手段がない場合に、それでも推進すべきではないとするにはさらなる理由が必要である。

 上関ではクラウドファンディング、風力発電、ふるさと納税、エコツーリズム、Uターン・Iターンの推進などを通じて原発の金に頼らない町の運営を模索しているが、これらの手立てがうまく機能しないときに、直接的な支援は別にして、「原発」へと手を伸ばすことを止めるために、他にどのような積極的理由がありうるだろうか。

 参考文献
[1] 那須圭子(2007)『中電さん、さようなら』, 八月書館
[2] 経済産業省エネルギー庁「電源立地地域対策交付金を活用した事業概要の公表について」, https://www.enecho.meti.go.jp/committee/disclosure/dengenkoufukin1/
[3] 北村俊郎(2011)『原発推進者の無念』, 平凡社新書
[4] 山秋真(2011)『原発をつくらせない人びと』, 岩波新書
[5] 山戸貞夫(2013)『祝島のたたかい』, 岩波書店
[6] 堀内和恵(2016)『原発を止める島』, 南方新社
[7] 『世界』, 岩波書店, 7月号, 2019, pp.97-167

「上関原発」については、3・11以降、建設計画がストップしていることもあって、全国的にはニュースとはならない状況にあるが、中国電力は今年の株主総会で推進を確認し、埋め立て工事の竣功期間伸張を申請している。折角の機会であり、多くの方の参加をお待ちしたい。


関連資料

◆(当日資料)高橋征仁「放射能をめぐる沈黙と忘却」
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◆(当日資料)吉永敦征「原発に反対できる理由の無さについて
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会務報告(所収:『倫理学年報』第69集(2020年3月30日発行))

高橋久一郎

 今回は、「上関原発」建設(中断中)の地である山口での開催ということから、原発の推進と反対をめぐる山口での状況について、吉永敦征氏(山口県立大学)に「原発の推進をすることに反対する積極的な理由の無さ」と題して、また、高橋征仁(山口大学)氏に「放射能汚染をめぐる沈黙と忘却」と題して、「原発」をめぐる問題を語りにくくしている背景と、そこでの原発に関わりのある「学問」の関わり方について、進化心理学的観点から報告いただき、まさに係争の地で「反対」を語る言葉をとりまく状況と、「進化倫理学」の試みについての情報を共有し、その上で、学問のあり方、とりわけ「倫理学」のあり方についても討論した。