〔アーカイブ・データ〕
・「第75回大会報告集」
・「会務報告」『倫理学年報』第74集(2025年3月31日発行)
第75回大会報告集
実施責任者 飯泉佑介
実施責任者 丹波博紀
宇野朗子
東日本大震災から見えて来たこと(12)
1 企画概要
この企画は、2011年3月の福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた方やその支援者、研究者の方からお話を伺い、「原子力災害」にまつわる倫理的課題を考える連続ワークショップである。2013年の初回以来、金井淑子会員、川本隆史会員、高橋久一郎会員によって継続的に開催されてきたが、今年も、2023年に実施責任者を引き継いだ飯泉佑介会員と丹波博紀会員による企画・運営のもと、新たなワークショップを実施する。
今回は、原発事故の避難者である宇野朗子氏を招いてお話を伺う。宇野氏は、ご自身が親子避難の当事者でありつつ、「『避難の権利』を求める全国避難者の会」や「福島原発刑事訴訟支援団」などで中心的な役割を担い、避難者の窮状や事故の収束、被害の最小化を訴える広範な活動に精力的に関わってこられた。一方で近年は、原発をめぐる多様な関係者と〈対話〉を行い、新たな社会を探求する「うみたいわ」の実践も主導されている。(詳細は、本稿末尾の、宇野氏による自己紹介を参照して頂きたい。)
今回の企画の狙いは二つある。一つは、宇野氏にこれまでの活動の経緯を話して頂き、改めて原発事故がもたらした数々の困難に思いを馳せながら、その問題の複雑さを考えるというものである。事故発生から13年間、避難の当事者として日々の生活を過ごされながら、常に市民運動や裁判の最前線で活躍されてきた宇野氏の実感のこもったお話から学べるものは大きいと思われる。もう一つは、現在、宇野氏が注力されている「うみたいわ」の紹介を踏まえて、〈対話〉の意義を考えるというものである。そこには、原発事故以来、なかなか変わらない社会や政治の現実に絶望するのではなく、運動や裁判とは別の仕方で、〈対話〉を糸口にして現実を変えていきたいという当事者の切なる願いがある。歳月とともに深まる社会の対立を乗り越えるという視点は、昨年、本ワークショップで石原明子氏にお話して頂いた「修復的正義」論に通じるはずであり、また〈対話〉という形式については、私たち倫理学者が馴染んでいるいわゆる哲学的「対話」の意義を問い直すことに結び付くかもしれない。原発事故から13年の今年、避難当事者の方の〈声〉に耳を傾けながら、倫理学に何ができるのか/できないのか、ともに模索する企画としたい。(なお、「うみたいわ」に関しては、実際にゲストを招いて〈対話〉の実演を行なうことも考えている。)
(飯泉)
2 東日本大震災・福島第一原発事故から13年
本節では、東日本大震災・福島第一原発事故から13年目の現在について確認し、宇野朗子氏をお招きする背景の説明に代えたい。その際に軸足を置くことは、不可視化される〈声〉である。本連続ワークショップにおいて高橋久一郎が述べてきたように「『しばらく』忘れてはならないことがある」。にもかかわらず意図して忘れようとする力学がある。このことを見定めつつ、いくつかの〈声〉をデッサンすることを本節の目的としたい。
あたりまえの事実から確認する。原発事故は終わっていない。被害者(たとえば避難者)において原子力災害は継続しており、廃炉作業の終わりは見えず、事故の全貌も解明されていない。しかし、私たちはママ忘れてしまう。そうした状況のもと政府は2022年末に既存原発の最大限活用と、新規原発の「開発、建設」を事故後はじめて政策として明らかにした。また、能登半島地震を受けて、活断層の多い能登半島が原発立地としていかに不適合かが訴えられたが、北陸電力は2014年におこなった志賀原発の再稼働申請を取り下げる見込みはない。ただし、くりかえせば福島原発事故は終わっておらず、これらの事態を前に、だから可視化されなければならない。今回、自主避難者の1人である宇野氏をお招きすることも、この点とかかわる。
まず、福島原発事故が「終わっていない」ことを廃炉作業から確認しよう。国・東京電力は、原発内の核燃料デブリを取り出し、2051年までに廃炉を完了させる計画である。その取り出し作業は2021年から始められる予定だったが、高い放射線量に阻まれて、現時点でも実施は先送りにされたままである。昨年8月24日に東電は「処理汚染水」の海洋放出を始めたが、これはもともとデブリ取り出しのための敷地が必要だったからだ。
「処理汚染水」は安全基準を満たすまで海水で大幅に希釈し、そののち海洋放出しているという。今年6月の朝日新聞は、海洋放出について「安全性『一定程度浸透』」という政府見解を伝えている(6月24日朝刊)。しかし、そもそものことを言えば、漁業関係者や地元住民の〈声〉にまったく耳を貸さず、〈対話〉なきまま強行し、既成事実化したのちのことである。福島の住民・漁業関係者による放出差し止め請求訴訟が進められるが、リスク評価をめぐり地域内の分断線は深く生じざるをえない。
ついで、避難者の「終わっていない」状況を確認したい。
福島県は2024年5月1日時点の避難者数として25,959人を挙げている。避難者の定義はまちまちである。県の数字には、自主避難者のうち、福島県外への避難者は数に含まれるが、県内別自治体への避難者は含まれない。また、避難先で住居を購入した人や災害公営住宅に入居した人も含まれない。たとえば、この「含まれない」人たちに、現在どのような「避難(被害)実態」があるのか。私たちはその実態を知ろうとし、その〈声〉に耳を澄ましたい。
たとえば、今年4月8日、東京都の国家公務員宿舎に住んでいた自主避難の2世帯が、東京地裁の強制執行によって宿舎から退去させられた。昨年1月、3月には別世帯がそれぞれ1つずつ強制執行されているので3、4例目となる。今回の2世帯の立ち退きは、福島県が立ち退きと損害賠償を求めて起こした訴訟の判決を受けておこなわれたものだった。この「立ち退き訴訟」と強制執行は、国連人権理事会に2023年7月に提出された報告書で、「人権侵害」と指摘されている。立ち退きは実質的に帰還の「暗黙の強制」にほかならず、国内避難民の「移動・居住の自由」への侵害となるからだ。
さて、今年度ゲストの宇野朗子氏は現在京都市に暮らすが、2011年3月、宇野氏は福島市から娘さんを含む家族とともに自主避難した1人である。会津から新潟そして山口に向かい、その後、1年半のあいだ福岡に母子避難したのち、2013年春に京都市に移った。こうした宇野氏はある講演で、先の「帰還の『暗黙の強制』」などをつうじて被害が不可視化されていく状況(たとえば避難者数から外されることで)をふまえて、「どんなに声を大きくしても声が届かないという中で、本当にどうしたらいいんだろうと思いながら過ごしてきた」と述べる(『京女法学』2016年8月、第10号)。私たちはこの宇野氏の述懐と向き合いながら、どのように倫理学のことばを編み直すのだろう――。
この言い方は、川本隆史が、2011年度大会(於富山大学)で実施された震災・原発事故をめぐる特別企画についての主旨説明で述べたことにならっているが、変わらず「終わっていない」現実において、いっそう不可視化される〈声〉のもとで、この問いはくり返さなければならない。
最後に、事前打ち合わせで金井淑子から発せられた問題提起を書きとめる。
2011年8月、福島の子どもたちが政府関係者に直訴し、手紙を渡すということがあった。その手紙のなかには「わたしは、ふつうの子どもを産めますか?」と書かれたものがあった。この手紙を書いた人のおもな意図は、原子力災害が胎児の遺伝子異常をもたらすことを指摘し、「げんぱつをなくしてほしい」と訴えることにあったのだろう(むろん私たちはここに優生思想を見届けることも可能である。ただ、この点は丁寧に、腑分けして考えるべきだろう)。
この手紙を書いた人は当時小学5年生なので、現在は23歳ほどになっている。では、この人は、現在、とくに産むことをめぐってどんな思いを抱いているのだろう。仮に「ふつうの子どもを産めない可能性があるならばつくろうと思わない」という思いに至ったとして、その思いに倫理学(の研究者)はどう向かい、〈生きること〉を考えるのだろうか。2011年から13年が経過した現在の問いである。
(丹波)
3 宇野朗子氏より
東京電力福島第一原発による原子力災害が始まってから、はや13年半以上が過ぎました。「過酷事故が起きる前に県内全ての原発を安全に廃炉にしていこう」と呼びかけを始めた矢先の発災でした。以来、避難を続けながら、被害をできる限り小さくするために、また第二の福島原発事故を引き起こさないために、微力でもできることを探してきました。この13年半、私たちは残念ながら、日本社会が、初期被ばくや継続的な外部被ばく・内部被ばくから人々を守ることも、放射性物質の拡散を押さえ込むことも、事故を収束させることも、そもそも今何が起きているのかを観ることも、当初の想像を遙かに超えて困難であることを痛感することになりました。被災者、被災者と自己認識していない人々、政策決定・実行者との間に、意識の乖離が拡がっていき、たくさんの分断線に阻まれ、孤立感が深まっていった被災者は、私だけではなかったと思います。
八方塞がりの暗いトンネルの中にいる気分から抜け出すきっかけとなったのは、コロナ禍の始まりに開催されたオンラインプログラムGAIA journeyへの参加でした。そこで他者とのつながりと協働の可能性に希望をもち、このプログラムのベースとなっていたU理論を学びながら、「意識に基づくシステム変革」を目指し、学びと対話の場を試みています。私たちがいかに物事に向き合い、自分自身に向き合い、協力を生み出していく力をもてるか? 失敗を恐れずに試行錯誤することが大切と考えています。
ワークショップでは、その試みのひとつ、福島原発事故の処理汚染水問題を入口としたオンラインのラーニングジャーニー「うみたいわ」(海対話)についてご紹介し、その一部をご体験いただけたらと考えています。
次の巨大地震の足音が大きくきこえてきています。多くの生命が失われ、甚大な被害となるでしょう。私たち自身が生き延びることはできないかもしれません。それでも、生きている今、次の震災がふたたび原発震災となることを望まないとしたら、生き延びた人々によりよい未来の種をたくそうとするならば、私たちにできることはなんでしょうか?
ともに耳をすましあい、未来につながる何かを感じる時間となれば幸いです。
(宇野)
会務報告(所収:『倫理学年報』第74集(2025年3月31日発行))
飯泉佑介・丹波博紀
今年度は、ゲストとして宇野朗子さん(うみたいわ主宰者、京都府在住)をお招きし、原発事故および政策をめぐる「対話」の可能性を探った。まず基調報告として、原発事故後に福島市から避難されて以降の宇野さんの経験と、宇野さんたちが進めている対話実践「うみたいわ」について語ってもらった。これを受けて、ワークショップ参加者とともに「うみたいわ」を実体験している。限られた時間枠ではあったが、参加者は宇野さんの語りによって喚起された各自の言葉を、他の参加者とシェアすることができただろう。最後に質疑応答へと進み、宇野さんが依拠する「U理論」や「生成的な聞き方=場から聞く」の含意や、「うみたいわ」とそれ以外の対話実践(「哲学対話」など)との相違点などを問い質そうと試みた。意見・立場を異にする者たちとともに世界をつくり未来の可能性を拓こうとするその実践のあり方は、40名に上った参加者一人ひとりを大いに勇気づけたものと確信している。
