第76回大会 ワークショップ「東日本大震災から見えてきたこと(13)」

〔アーカイブ・データ〕
・「第76回大会報告集」
・「会務報告」『倫理学年報』第75集(2026年3月XX日発行) ※未収録


第76回大会報告集

実施責任者 飯泉 佑介
実施責任者 丹波 博紀
川上 直哉
山内 明美

東日本大震災から見えてきたこと(13)
――〈東北〉の「いたみ」をめぐって:今ここ、これまでとこれから

1 企画概要

 東日本大震災で被災し、福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた方々、そしてその支援者や研究者の方々からお話を伺う本連続ワークショップは、2023年に飯泉と丹波が責任者の任を引き継いでから3年目を迎える。引き続き、前責任者の金井淑子会員、川本隆史会員、高橋久一郎会員のご協力を仰ぎつつ、本年は、初めて二人のゲストにお話して頂く。日本基督教団石巻栄光教会の牧師であり、NPO法人「東北ヘルプ」代表を務める川上直哉氏と、宮城教育大学の教員で、〈東北〉を研究テーマとされる歴史社会学者の山内明美氏である。本企画の趣旨説明に先立って、両氏の活動を簡単に紹介したい。

 川上氏は、立教大学で神学を修めた後、仙台で組織神学の研究に従事し、大学で教鞭を取っていたが、2011年3月の震災と原発事故の発生を受けて、被災各地のキリスト教会とともに「被災支援ネットワーク・東北ヘルプ」の立ち上げに関わった。近年は、地元に根差した支援活動と長年にわたる神学的思索に裏打ちされた独自の〈現場の神学〉を展開しながら、宗教協働の試みや「東北キリシタン」研究にも精力的に取り組んでいる。一方の山内氏は、宮城県南三陸町で代々続く「百姓」の家に生まれ、一橋大学で稲作とナショナリズムの関係の研究に携わってきた。震災後は、災害や差別に苦しむ〈東北〉の人々の声に耳を傾け、その歴史的・構造的背景を考察した論考を継続的に発表する。最近は、〈東北〉の可能性を開花させるための地域活動や教育活動に携わりつつ、フクシマからグローバルな核開発の問題まで研究の幅を広げている。

 川上氏も山内氏も、一貫して〈東北〉に身を置き、被災者に寄り添った活動を展開される一方、目下、フクシマが直面する新たな事態にも注意を向けられ問題を提起されている。当日はお二人に今のご関心に沿って自由に話して頂くが、企画者としては次の三つの論点が中心になるだろうと考えている。

 一つ目は、震災と原発事故にまつわる「痛み/傷み/悼み」をどう受け止めるか、という点である。震災当時から現地に関わってこられた両氏はともに、「被災者の痛み」といった抽象的な定型的理解を避け、出会ったその人その人の苦しみに想いを寄せつつ、さらにそれが「傷付けられた経験」、つまり「傷み」であり、また、亡き人たちへの「悼み」に結び付いていることに目を向けてこられた。この「いたみ」の多義性は、石原明子氏(23年度報告者)が指摘された、原発事故によって多くの人々の間に引き起こされた対立・葛藤・分断の問題に通じると同時に、宇野朗子氏(24年度報告者)が自身の体験とともに語られた、年月とともに深まっていく避難者・支援者の孤独と苦悩という「傷」にも通じる。今回の報告と対話によって、さらに「いたみ」の倫理への理解が深まるだろう。

 二つ目は、被災地の当事者性や支援者・研究者のポジショナリティをめぐる論点である。キリスト者として「現場」に立ち、人々の生活に根差した支援活動を続けながら、キリスト教における「宣教」や「福音」の意味を問い直してこられた川上氏。〈東北〉に住まう人々の苦難の歴史と日本列島における〈周辺〉のあり方を研究される一方、震災によって自らの故郷の街が破壊され変容する姿を目の当たりにされた山内氏。ここには、同じように「被災地に関わる」と言っても、少なからず違いがあると思われる。両氏の声が交錯するところに耳を傾けたい。

 最後に、震災・原発事故から14年目(当年を含めると15年目――下記の川上氏の説明を参照)の現在、そして未来への見通しである。被災地、とりわけフクシマをめぐる状況は刻々と変化している。警戒区域の解除に伴う人口の変動、汚染処理水の放出、「福島イノベーション・コースト構想」を柱とした復興政策。残念ながら社会的な関心は高まっているとはいえないものの、そうした現実さえも踏まえた両氏の今の取り組みや考え方から学ぶことは多いはずである。

 2011年から14年目(15年目)の今年、東北は仙台、東北大学を会場とする日本倫理学会第76回大会にふさわしいワークショップにしていきたい。

(飯泉)

2 川上直哉氏より「格率としての責任」

 私たちの催事の最初の準備会合で、「今年は15年目」ということが、話題となりました。「3.11」から数えて、2025年の東北地方太平洋沿岸部は、「14周年」を迎えた「15年目」の三重被災地、ということになります。この「14」「15」が、とても紛らわしいのです。

 仏教式の「数え方」では、人が亡くなった日を「一日目」と数え、「四十九日」「三回忌」云々と法要が営まれます。それはグリーフケアの重要な枠組になっています。

 キリスト教神学では「カイロス」と「クロノス」という言葉が大切に使われています。どちらも「時」と訳されます。「流れる(クロノー)」という言葉から「流れる時間=クロノス」という言葉が生まれ、それを「切断する(カイロー)」出来事・一期一会の「機縁に出会う時」がある。この「契機となる時」のことを「カイロス」と言います。

 クロノスに刻まれたカイロスは、永遠から振り下ろされた楔のように機能します。流れる時間は、ふとした時に、何度でも、その刻まれた傷に吸い込まれ・落ち込む。深く激しい痛みを伴って。

 震災後、「心のケア」という言葉が盛んに語られました。「ケア」とは、気味の悪い言葉に思われました。「キュア(治癒)」が、そこに含意されている。仏陀やイエスがそうであったように、不思議な治癒を求められる現場。それが「心のケア」という言葉の中に練り込まれているように思われました。調べてみると、「ケア(care)」の語源は「悲鳴・悲嘆(caru)」であり、「キュア(cure)」の語源は「気遣い(cura)」にある。両者が混ざり、また分岐して、現代の英語になっているそうです。

 悲鳴を間近に聞き、悲嘆を分かち合う。そこに不思議な治癒が起こる。だから、カイロスの現場に立ち尽くす。例えば仏教者はそのように法要を行う。それが「供養」となる。

 この夏、ミャンマーの大司教のお話を、間近に直接聞きました。「クーデター後、軍事政権の責任者がクリスマスのミサのために教会にやって来た。受け入れれば、国際的な非難を受ける。私は逡巡し、しかし、その人々を教会に受け入れた。莫大な資産・強大な権力があっても、決して踏み込めない領域がある。そこに踏み込む責任が、私たちには、あるのだ。」と語っていました。私は今年を「震災15年目」と数える。それはこの「踏み込む責任」に駆られての事、と思いました。

 以上、私も「3.11」のカイロスに立ち、徒然に記しました。語り合える幸いを、感謝しています。

(川上)

3 山内明美氏より「記憶を孤独にしないこと、抑圧の連鎖を断ち切ること」

 福島県は、今日も「緊急事態宣言」発令中である。

 本連続講座をはじめられた川本隆史さんが、東北大学非常勤講師としての最終講義(それは石牟礼道子さんに関わるお話でもありました。)をされた後、教室からレストランへ移動する道すがら、「野口遵は、三居沢の水力発電所で日本カーバイト商会をはじめたようですよ」とお話された。私は心底びっくりした。心のなかでは青ざめていたと言っていい。自分の不明を恥じながら、青葉山麓の三居沢水力発電所を訪ねた。仙台市内をぐねぐねと蛇行する広瀬川の、その蛇行具合をうまく利用して取水口を設け、青葉山の丘陵を利用した日本最初(諸説あり)の水力発電である。日本の東北地方をフィールドに稲作とナショナリズムについて考えてきた私は、当然のように、野口のカーバイト製造が、当初は東北地方の土壌改良のためにはじまったのではないかと想像した。そして、土壌改良するための化学肥料を製造するには「電源」が必要であることを、私はこの時まで気が付かずにいた。川本さんは「水俣病ではなく、仙台病だったかもしれませんね」と言ったことが何度も蘇った。戦後、日本の穀倉地帯となった〈東北〉は、低開発のために田園風景が広がったのではなく、品種改良、土壌改良、そしてそれらを実現するためにエネルギー開発を進めた。近代技術の粋を集めた結果が、東北地方の穀倉地帯化とモノカルチャーだったことについて今一度検討しようと思う。

 山内報告では、飢餓や災害による痛み/傷み/悼みの連なりが、その克服のために導入した極めて高度な近代技術によって、さらなる犠牲を生み出してしまった戦後80年を朝鮮半島や台湾での植民地主義の連鎖と共に検討する。

(山内)

4 「研究教育」の名のもとで?

 本稿を締めるにあたり、実施者の打ち合わせで話題になったことについて触れておきたい。それは、「福島イノベーション・コースト構想」(以下、福島イノベ構想)と「福島国際研究教育機構」(以下、F(エフ)REI(レイ))のことである。これらについて、いま私たちには倫理(学)の問題として論じる用意がないが、「気になり、学び知りたい」という点では共通の認識をもっている。その理由は、これらが、飯泉会員が実施概要で挙げた論点のうち、とくに1点目にかかわると考えるからである。

 まず、福島イノベ構想とは、「東日本大震災及び原子力災害によって失われた浜通り地域等の産業を回復するため、新たな産業基盤の構築を目指す国家プロジェクト」である。2017年5月、福島復興再生特別措置法改正法で法的位置づけを得た。この構想では、「廃炉」「ロボット・ドローン」「エネルギー・環境・リサイクル」「農林水産業」「医療関連」「航空宇宙」という6つの重点分野が設定されており、実現に向けて産業集積や教育・人材育成、交流人口の拡大といったことが掲げられてきた。

 一方、F-REI(2023年4月設立)とは、こうした福島イノベ構想をさらに発展させ、浜通りを中心とする東北地方広域を「創造的復興の中核拠点」とするために設立された特殊法人である。本部は浪江町に置かれ、JR浪江駅の西側、東京ドーム約3個分の敷地に研究棟などを順次完成させる計画だという。浪江町側はこうしたF-REIが復興の推進役になることを期待しており、2024年3月には「浪江国際研究学園都市構想」をまとめている。この構想にはビジョンとして「地域とF-REIをはじめとした多様な主体が共生する持続可能な まちづくりの実現」が掲げられている。

 以上2つを確認したが、では私たちはこれらの「何が」気にかかっているのか。それは、こうした「研究教育」を軸とする国策レベルでの復興政策が、個々人の抱く「痛み/傷み/悼みの連なり」を不可視化する可能性はないか、ということだ。たしかにこれらの政策のもと、地域経済は発展し、人材の育成・輩出は盛んになるだろう。一方で、例えば政策に併せて避難指示解除の声が高まることに、「なし崩しになりはしないか」と不安を憶える人にいる。そうした人たちが声を発することをしづらくし、または聴き取りにくくしはしないか。

 こうした視点は、川上氏や山内氏、他の実施者との打ち合わせの中から生まれたものである。とくに川上氏が事務局長を務める「東北ヘルプ」のニュースレター掲載記事「『福島の復興』とは、何か 『福島イノベーションコースト構想』を考える」からは大きな示唆を得た(2025年イースター号)。むろん、今回は福島イノベ構想やF-REIをじかに扱うものではなく、当日も直接には言及されない可能性が高い。だが、「15年目」の現在、「復興」を考える上での1つの、欠かせない視点だと考える。

(丹波)