川本隆史
連続ワークショップ(以下WSと略記する)の記録をアーカイブ化して公開することを倫理学会評議員会に申し出たところ、WSの立ち上げから関与しててきた私の「序文」を付したらどうかというかたじけない示唆を頂戴した。
2013年10月の第63回大会(愛媛大学)を嚆矢とするこのWSは、前年の第62回大会(日本女子大学目白キャンパス)の共通課題「震災と倫理」(10月14日)の議論の継続・深化をねらうものであった。そうした前史と展開は、本サイト冒頭の趣旨文(2023.8.12、第74回大会ワークショップ実施責任者記)および時系列順に並べた各種ドキュメントに示されている。したがって以下には、共通課題実施に先立つ2011年(震災の年!)の第61回大会(富山大学五福キャンパス)初日における「東日本大震災・福島第一原発事故関連 特別企画」の実施責任者の主旨文(最終更新2011年8月2日/同大会予稿集に掲載)を再録して、WSの《オリジナル・ポジション》(原初的な位置どり)を確認することをもって本サイトへの「序文」とさせていただくとする。
【以下再録】
特別企画●倫理学(の研究者)は震災・原発事故にどう向き合えるのか、何ができ/できないのか
実施責任者・司会=川本隆史
本企画の発端から設定にいたる経緯を、一人称で時系列順に綴ることにより主旨説明に代えたい。
3月11日、東京の自宅で凄まじい揺れを体感し、津波の映像を目にしながら、「大地もまた水の上にある」という先哲タレスの教えを思わず想起した私だった。続いて福島第一原発の事故が勃発する。福島県下や関東各地で測定された放射線の値は「直ちに健康に影響を与える数値ではない」と繰り返すばかりの「安全・安心」の公式プロパガンダと、もっぱらインターネット経由で拡散していく「不安のコミュニケーション」(ニクラス・ルーマン)とのはざまにあって、倫理学(の研究者)は社会と未来への信頼をどうすれば回復しうるのだろうか――そんな疑問が湧き上がるのを抑えることができなかった。
4月9日、日本倫理学会第31期第2回の評議員会が日本女子大学西生田キャンパスにおいて開催される(会場の図書資料室の床には、前月の地震で書棚から落下した洋書が散乱していた)。議事が本年度の富山大会での共通課題「幸福」の進行状況の説明に及んだとき、評議員のひとりから次のような問いが提起された――「10月の学会で「幸福」を論じあうのなら、おそらく避難や移住を余儀なくされているであろう人びとと、何らかの連携を図る必要はないだろうか」と。課題設定委員会サイドの回答は、「震災前から立案と人選を進めてきたものであるため、この時点で報告者すべてにそうした要請をするのは無理があるだろう。もちろん、被災者の暮らしを念頭において話を組み立てる工夫を各報告者が施すことは可能だが……」といった内容だった(以上はあくまで私の記憶とメモに基づくものであって、評議員会の正規の記録ではない)。
他の議題が山積していたため、当日はそれ以上の討議の時間をとることができなかった。〈3・11以降、倫理学に何ができるか〉という戸惑いを深める一方の私だったのだが、たまたま視聴した石巻出身の作家・辺見庸のトーク(「瓦礫の中から言葉を」、NHK教育テレビ「こころの時代」2011年4月24日)と近作の詩「死者に言葉をあてがえ」(後に『文學界』2011年6月号、文藝春秋に公表される)の朗読が強く心胸を打ち、震災に向き合いながら倫理学のことばを編み直すよう、励まされた。「瓦礫の中からことばを一つひとつ拾い集め、大事に組み立て……破壊されたわれわれの外部に対して、新しい内部・内面をあなぐりこしらえること、それが希望ではないか」との静かな諭し、そして「わたしの死者ひとりびとりの肺に/ことなる それだけの歌をあてがえ」と促す詩句が、である〔番組をもとに書き下ろされた辺見庸著『瓦礫の中から言葉を――わたしの〈死者〉へ』(NHK出版新書、2012年1月)の劈頭にも、この詩が置かれている〕。
震災直後に何とか書き上げた一文が公刊され(「地異に臨む社会倫理学へ――震災、正義、ケアをめぐる断想」、『臨床精神病理』第32巻第1号、日本精神病理・精神療法学会、2011年4月)、評議員会での問題提起を引き受けるべくそのPDFファイルを評議員の一部に送付した。そんな下工作と会員諸姉兄からの有形無形の督励が実って、5月末、〔当時の竹内整一〕会長からワークショップに準じる特別企画を立てるよう依頼を受ける。
その夜、ただちに意中の会員に電話とメールで連絡をとり、三名の発題者を内定した。まずは震災に見舞われた現地から直江清隆会員(本務校の東北大学では「生命環境倫理学」を担当し、科学技術論にも造詣が深い)、そして福島県出身で原発事故直後から積極的な活動と発言を続けている高橋久一郎会員(千葉大学)、最後に95年の阪神淡路大震災の経験者にして大学ぐるみでの復興・支援活動にも関わった水谷雅彦会員(京都大学)。
7月30日、第31期第3回評議員会に本企画を提案し、ワークショップの前座におくことが承認された。こうした経過や「ことがらそのもの」の性質に鑑み、現場での忌憚のない意見交換を主眼としたい。そのため発題は10分程度に収め、参加者との討議の時間をたっぷりとろうと目論んでいる。なお当日(ある程度まとまった)発言を希望する会員は、できれば事前に当方までそのポイントをメールでご一報いただけると有り難い(kawamoto[at]p.u-tokyo.ac.jp ※アーカイブ管理者より:[at]は@に変える)。
司会者としての心覚えを記す。震災、津波、原発事故をひと括りにして論じ切ることは不適切だし、避けたい。一人ひとり異なるニーズを抱えているはずの、震災・津波の被災者に対しては辺見庸のようなパーソナルな語り口から始めざるを得まい。だが原発事故に関してなら、『現代倫理学事典』(弘文堂、2006年)の項目「原爆/原子力」がインパーソナルに指摘していた論点を手がかりにすることができるだろう。その一部を抜き書きして参考に供する――「原発は、科学技術の高度の開発をすべて肯定し、生活の便利さと経済成長に価値を置く人々によって支持されてきたが、同時に、他のエネルギー資源の利用よりも安価であり(それに反するデータが最近まで隠されてきた)また、二酸化炭素を発生せず温暖化防止に役立つ(燃料製造、再処理などを含めればそうは言えない)など、不適切な世論操作によって推進が図られてきたことも指摘されるべきだろう。原発には2つの大きな問題がある。1つは、極めて大きな被害を生じる事故の可能性。[……]もう1つは有害な影響が何万年も残る放射性廃棄物の排出。[……]「世代間倫理」の観点から言えば、放射性廃棄物は世代間の不公平を生む。また、原発は事故による犠牲者の数を抑えるために、他の火力発電所などとは異なって、都市部から遠く離れた、人口の少ない場所に作られており、同じ世代でも、少数にリスクを負わせて、多数が利益だけを受けることになり、その点にも不公平の問題がある。」(執筆者=須藤自由児)
【再録終わり】
富山大会一日目(9月30日)の17時~19時という異例の時間枠をあてがわれ、上記お三方の発題を受けた活発な議論(会員でない方がたの発言もあった)が繰り広げられた記憶は残っているものの、肝心の司会者のメモが見つかっていない。雑然たる書類の山の中から探し当てられたなら、速やかにこの「序文」に討議のポイントを補筆しようと考えている(まんいち本サイトの閲覧者のなかにこの場に立ち会った方がいらしたら、ぜひご一報いただきたい)。ちなみに『倫理学年報』第61集(2012年3月)の「会務報告」227ページには、「第六十二回大会の概況」のⅠとして「特別企画」の主題・副題、実施責任者名(川本)が記載されるのみであった。
とは言え、富山大会での評議員会(2011年10月1日)において、課題設定委員の神崎繁会員より次年度の共通課題のテーマを(「特別企画」を踏まえての)「震災と倫理」とするとの原案が提示され、承認されたことは確かな記録(議事録)として残っている。そして、その場で評議員のおひとりが「この度の問題は今後の問題でもある。実行委員やパネリストを20~30代の若手の会員に限定してはどうか」とのラディカルな正論を述べられ、討論の結果、パネリストに若手の会員を入れるという要望を実行委員に伝えることが衆議一決したのである。さらに、課題実行委員会のメンバー――慣例に基づき、二名の評議員(神崎さんと私)および金井淑子、高橋久一郎両会員から成る四名――も同じ席上で内定に漕ぎ着けている。
こうして成立した実行委員会は、直ちに共通課題の企画・人選に入り、年内には三名の発題者(福嶋揚、宮野真生子、鷲田清一――要請に従い、若手会員お二人の参画を仰いだ)が確定している。ところが、2012年10月の第63回大会の準備が本格化して間もなく、実行委員の神崎繁さんより評議員・課題設定委員の辞任願いが出されるにいたった(2012年3月3日付け)。やむを得ぬ事情ゆえのお申し出だったのだが、評議員会の総意として――無理のない範囲で関わってもらえればよいとの条件を付して――慰留を続けた。そうした経緯があって、学会の公式記録には「震災と倫理」実行委員として神崎さんのお名前が並記されたままなのだし、高橋久一郎さんが「総括質問の後で」(『倫理学年報』第62集、2013年3月)の末尾でWSの開始・継続を呼びかけ、課題実行委員4名が持ち回りで企画・運営に携わるというプランを打ち出した際も、おそらく復帰への期待をこめて神崎さんをメンバーに残しておかれたのではなかろうか。
神崎さんは、入院加療と療養生活を経て2016年10月20日にこの世を去られた。彼が共通課題「震災と倫理」、そしてその後のWSの運営に加わってくださっていたら、どれほど心強かっただろうか。そしてどんな《声》を私たちに届けられたのだろうか。博覧強記と繊細な文体を兼ね備えていた畏友を喪ったことが悔やまれてならない。今はただ遺著『内乱の政治哲学――忘却と制圧』(講談社、2017年)や『人生のレシピ――哲学の扉の向こう側』(岩波書店、2020年)をひも解きながら、生前の著者から賜ったご交誼とたくさんの教示を振り返るばかりの私なのである。
(2023年9月11日 第二稿)