〈核災〉と〈いのち〉の選別


所収:金井淑子・竹内聖一編『ケアの始まる場所――哲学・倫理学・社会学・教育学からの11章』(ナカニシヤ出版、2015年)
※ 本稿は執筆者からお届けいただきました元原稿に補正を加えたものです。正確な内容は上記をご確認ください。

米田 祐介

女はそうやって産
産みつづけてきたのに その産道は
ついに原子力発電所までつづいていたのか
(高良留美子「産む」より)

1 序

 巨大な、あまりにも巨大な東日本大震災発生後、被災地には、いや私たちの国には2つの線が引かれた。ひとつは、津波が到達した土地と、到達しなかった土地を仕切る線。もうひとつは、原発事故によって拡散した放射性物質が検出される土地と、そうではない土地である(1)

 2つ目の線は、地図にはない。いわば〈核災社会〉の到来を示す線である。〈核災〉とは、〈核爆弾〉と原子力発電いや〈核発電〉は同根であるとする問題意識から発せられた南相馬市の詩人・若松丈太郎の言葉であり、それは「単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核による構造的な人災〉」として定義される(2)。〈核災〉によってもたらされたこの目に見えない線は、もっといえば、「生きさせる・・・か、死のなかに廃棄する・・・・か」(フーコー)の「切れ目」ですらあろう(3)。そしてこの「切れ目」はけっして平等にはひかれない。女性や子ども、老人、そして障害者たちに対して一層苛烈である。

 2011年7月9日、『毎日新聞』は「原発悲観 南相馬市の93歳女性 お墓にひなんします」と大きく報じた。あの日、拳を強く握りしめたのは私だけではあるまい。小学校5年生の女の子(福島市)は、なぜ叫ばなければならなかったのか。「わたしは、何さいまで生きられますか?」と(4)。またいわき市に住むある女性は語る。「朝起きるとね、三月十一日以降、朝、手がこんなになってるんです(握った両拳を差し出して見せながら)。グーにして。朝その手を……やっぱり何かしら気にしてるのか、いろいろなこと考えてるので、手をこう、朝、解きほぐすっていうか、そういう感じから、一日がスタートしますね」(5)

 いまや、福島では災害関連死が直接死をうわまわったことは私たちの記憶に新しい(6)。だが他方で、〈収束〉にむかわせる“絶対温度差”(7)なるものが被災地を追いつめている。「がんばろう、東北」「がんばろう、福島」のかけ声はどこへいった。なかったことにしようという社会的風潮にたいして、若松はあるインタヴューで語った。

まだ終わっちゃいないですよね、終わっちゃいけないんです(8)

 繰り返し、何度でも思い出そう。事故後なぜ、あるいは自分の子どもを被曝させてしまうのではないかということで「申し訳ない」「自分を責めています」「ごめんなさいね」といった言葉が福島の女性たちから発せられたのか、発せられねばならなかったのか。また、福島の外部からは、避難した母に対して「故郷を捨てるのか」という非難があびせられ、福島にとどまった母に対しても、「子どもの命を大切だと思わないのか」と非難があびせられた。何をしてもしなかったとしても、他者のまなざしにさらされて、女たちが、母たちが責められたのである。また他方、福島の子どもたちは、放射能という見えない恐怖を背負って、避難先でいじめを受け、再度被災地に戻ったのであった。

 ある人は言った。福島県民は〈棄民〉である、と。またある人は言った。東北の、福島の女性は、「植民地の植民地」である、と。福島の人たちが、女性と子どもたちが、闘っている敵とは、はたして放射性物質なのか、それとも人間か。こう思わざるをえないところまで、〈核災〉は人を追いつめたのである。そしてこうした状況下、いわば地図にない「切れ目」の極北で、わずかとはいえ人知れず人工妊娠中絶を選んだ女/母たちがいた。〈いのち〉の係留点は、深く、深く、傷つけられたのである。

その産道は/ついに原子力発電所までつづいていたのか

 震災から三年がたち、いまではもう、こうした初期の出来事はあまり顧みられることがなくなったように思われる。だが、けっして忘れてはならないであろう。本章ではこのような問題意識から、〈いのち〉の選別を主題にすえ、冒頭で述べた若松の定義を用いることによってみえてくる〈核災〉の構造的暴力とそれが映し出すものを、いくつかの事例をもとに“倫理”と“社会心理”が交差する場から照射する。その場合、〈いのち〉の選別を、狭義と広義とに区別して考察してみたい。狭義として、(狭義の)出生前診断を(9)、そして広義としていわゆる「放射能差別」を措定し、この2つの〈いのち)の選別の重層的な関係を念頭に置く。

 本章が問いたいのは、端的に、〈核災〉は〈いのち〉の選別という“構え”を強化し、いまや〈いのち〉の係留点としての女性身体が、管理の拠点としての暴力にいっそうさらされているのではないか、ということであり、言い換えるならば、〈核災〉と地図にない「切れ目」との連続性――生-権力/生-政治の磁場(10)――である。

2 狭義の〈いのち〉の選別をめぐって――〈核災〉が映し出す「内なる優生思想」――

2-1 〈被災〉によってもたらされた中絶
 「放射能の影響で先天異常の子どもが生まれるかもしれない。おろしてください――」。2011年6月上旬、ある福島市の病院に取材に入った『AERA』の記事によれば、こう医師に訴える30代の女性は中絶手術をうけた。妊娠8週だった。胎児が被曝して先天異常児が生まれるという理由で、婚約者から中絶を強く求められたと言う。また病院長によれば、原発事故後、妊娠初期の女性はおしなべて、放射能による先天異常や流産の可能性を口にしたという。医師は、そのつど、いまの放射線量では大丈夫だと説明する。だが、どうしても中絶したい、あるいはしなければならない、と言われると、医師はどうしても産めとはいえない。こういうことが、この病院に限らずみられた(11)

 ちなみに、一九八六年、チェルノブイリの〈核災〉によって、いわゆる「死の灰」の7割が落とされたベラルーシでは、先天異常をもって生まれた赤ちゃんの割合が事故後の5年後、1991年には1000人あたり18.2人と、事故前の1.5倍になった。正確な件数は把握できてはいないが、中絶件数も増加したといわれている(12)。もとよりこのような報告の真偽について私は判断することができないが、中絶に関することは誰もが証言したくはない事柄であり、なかなか公にはなりにくいということだけは確かであろう。とりわけ中絶を罪悪視する社会・文化的状況にあればあるほど〈語り〉はいっそう沈黙を強いられる。管見の限り日本ではおそらく唯一、かなり立ち入ったものとして、本多創史による報告がある。その概要をみてみよう。

 本多によれば、原発事故後、いわき市内のある民間団体には次のような相談が妊婦から寄せられたという。中絶するか否か(69件)、子どもの障害が不安だが中絶したくない(21件)、中絶できない時期に至っており仮に障害児が生まれたらどうすれば良いのか(18件)、「不安」の強い夫や義父母から中絶を勧められている(16件)、などである。いずれも、障害児や先天異常(奇形)児が生まれてくるのではないかという「不安」が存在することを示すものであるが、こうしたなかで、実際に中絶した人が少なくとも18人いたということが確認された。このうち、自らの意思で中絶した人が5名、周囲と話しあった結果中絶した人が4名、夫や義父母から勧められて中絶した人が9名であったという(13)

2-2 誰が女/母たちを裁けるのか
 ある場面で大橋由香子は、〈核災〉による中絶を危惧して、胎児への中絶が推奨された水俣を引き合いに出し「水俣病が原発事故になりつつあるかもしれない」と述べていたことは示唆的であるが(14)、今回の〈核災〉では行政指導は行われていない。したがって、非強制の、つまり自己選択として中絶が行われたことになるが、ここで次のような課題が浮かび上ってくるのではなかろうか。すなわち、それは許容されうる女性の自己決定権の範囲内か、もっと言えば、この場合、出生前診断の論理との重なりと異なりとは何か、という倫理的な問いである。これについて、立岩真也の議論を参照軸として検討してみたい。

 ごく大雑把な解釈になるが、立岩によれば一義的には、胎児が、「何か」から「私でない存在」、すなわち〈他者〉になっていく過程を感受することができるのは、言い換えるならば、〈他者〉の出現を最初に知るのは、まぎれもなく妊娠している女性である。胎児を〈他者〉としてあらしめるかどうかというのは、その胎児を自身のうちに孕んでいる女性に委ねるしかない。こうした了解のもとで、「だれもがその生命を奪われてはならない存在として認める時点以前の期間」においては、〈他者〉を侵害しないことを前提として、自己決定を女性に委ね、権利として尊重できるとされる。しかし、出生前診断では、この決定が〈他者〉の性質・・、言い換えれば、どのような存在か、その存在の属性を前提にして決定する行いである以上、それは〈他者〉の存在を想定しつつ、〈他者〉を決定することであり、〈他者〉が〈他者〉であることを奪い取る。それゆえ、自己決定権とは言えない、リプロダクティヴ・ライツには含まれないのである(15)

 さて事例は、たしかに出生前診断後、障害の有無を確認した上で中絶をしているわけではない。けれども、生まれて来る子をその性質・・(の可能性)に基づき選ぼうとしているから、その時点で胎児はすでに〈他者〉としてみなされている。つまり、胎児を〈他者〉とみなした上でそのありようを制御しようとしており、自己決定権としては正当化しえず、したがって限りなく出生前診断を経た後の中絶に近いということが言える。

 だが、どうであろうか。〈核災〉によって、女/母たちは「選ばないことを選ぶ」以前に、否応なく生れてくる子の性質・・の可能性――その存在の属性の可能性――を、実際に障害児が生れてくるかどうかは別としても、その可能性を女/母たちは切実に観念しているという意味で、あらかじめ知ってしまっている・・・・・・・・・。否応なく知らされている・・・・・・・。これは、〈核災〉による「無実の場」への侵襲であって、暴力以外の何ものでもない。被曝した男女のリプロ権を提唱する金井淑子は、立岩理論に鋭く疑問を投げかける。

 立岩理論は妊娠における〈いのち〉の到来の「偶然性」という前提から、〈いのち〉の質を選ばないとする思想・哲学を導いている。つまりそこにはある程度「自然」が前提にされているのである。そのように考えれば、核によって〈いのち〉の出来の「自然」が失われたいま、すなわち、立岩テーゼは「核災」後も果たしてそのまま適用できるのかという疑問が立てうる(16)

 いまや、〈核災〉により〈偶然〉という自明の自然さは限りなく失われた。女/母たちへの核による暴力とは、端的に、レイプですらあろう。金井は、この場合の中絶を「緊急避難権」として許容しうるとする。立岩と金井の議論の正否については留保するも、だがいま、これだけははっきりと言えるだろう。誰が、何の資格で、女たちの、母たちの悲しみを裁けるのか、と。実際、このいわき市の団体によれば、誰にも相談できず中絶してしまい自分で自分を追いつめている人、あるいは中絶を選択肢に入れたことで自分で自分を責めている人が多くいたという(17)

2-3 内なる優生思想
 むしろ私が、この〈核災〉による暴力を通じて課題化したいことは、これまでみてきた「不安」の内実が仮に、障害者は不幸であり生まれない方がよい、という価値規範を前提としているのならば、〈核災〉による福島の女たち、母たちへのとてつもない「負荷」は、はからずもマジョリティの「内なる優生思想」をあぶり出しているのではないか、ということである(18)

 実際、いわゆる100ミリシーベルト安全言説のその健康概念の内実には、それ以下であれば、障害をもった子どもは生まれてこないがゆえに・・・安心してよいということが前提されていた(19)。ここにマジョリティと権力との共犯関係が成立していることを読解することができるが、こうした価値規範は、実は反原発・脱原発を訴える人たちにも、暗に前提・共有されてはいなかったか。たとえば、米津知子は「反原発の理由に「障害児の出生」が繰り返しいわれるとき、障害にまつわる負のイメージが人びとに再確認され、それが障害者排除の実ママを強め、差別を深めるのではないか」との危惧を語り(20)、野崎泰伸もまた次のように述べる。すなわち、「このような反原発論には、障害者に対する嫌悪感、その中核としての優生思想と、障害のない子どもを女性に期待するという、女性に対する圧力とが前提とされているのではないか」と(21)。こうした点に、もっと繊細な注意がむけられるべきであろう。

 さて、あたかも、本節でみてきた「内なる優生思想」を確かめるかのように、次のような痛ましい「放射能差別」の被害・事件があったことを忘れてはならない。広義の〈いのち〉の選別である。

3 広義の〈いのち〉の選別――「放射能差別」と無限の“ケガレ”――

3-1 放射能差別
 現在ではあまり報道されることもなく、また顧みられることもなくなった。以下の事例はほんの一部であるが、列挙してみる。

 ・「放射能がうつる」「福島から来た」→いじめ、不登校
 ・病院での治療を拒否される、保育園入園拒否
 ・タクシーの乗車拒否、給油拒否、駐車拒否
 ・宿泊拒否→「スクリーニングを受け、被曝者ではない証明書がないと泊められない」
 ・被災者受け入れを表明していた公営住宅→「罹災証明書をもっていない」と門前払い
 ・福島出身を理由に結婚が破断(戸籍を福島から他に移した人も)
 ・外資系会社のがん保険の販売自粛

 たとえば、「放射能がうつる」「福島から来た」というだけで、いじめにあい、不登校になってしまった子どもたちがいた。ある、いわき市の女子中学生は声を震わせて次のように語った。「関東の学校へ転校することになりそうだけど、福島出身って言うとイジメられそうで怖い。東北の友達とも「言葉でバレないように標準語の練習をしたほうがいいのかな」なんて話をしてます。何も悪いことしていないのに自分の故郷を隠したくない。今後の学校生活を考えると不安です」と(22)。子どもたちに何の責任があるというのであろうか。なぜ、生まれ育った故郷を隠さなくてはならないのか。

 ほかにもこうした差別はいくつもみられた。9歳の女の子が皮膚の病気で病院に行ったところ治療を拒否された。また、保育園の入園拒否、タクシーの乗車拒否、給油拒否、駐車拒否、挙げればきりがないほどである。ある宿泊施設では「スクリーニングを受け、被曝者ではない証明書がないと泊められない」と。また被災者受け入れを表明していたある公営住宅では、「罹災証明書をもっていない」と門前払いにあった被災者がいた。これは実際は建前であって、実は地域の住民から“放射能に汚れた人を入れないでくれ”という声があがったため、受け入れできなかったという(23)。さらには、福島出身の女性であることを理由に結婚が破断したケースというのはかなりの件数確認できる。戸籍を福島から他に移した被災者さえいたほどである。インターネットの書き込みなどでは、こうした破断の理由のひとつには、将来、障害のある子を産むかもしれない、というのが目立っていた。ほか、外資系会社のがん保険の販売自粛などである。

 〈核災〉はあらゆる差別を引き起こす要因となった。いや違う。正確には、〈核災〉はすでにある差別を・・・・・・・・権力が隠蔽してきたあらゆる差別を・・・・・・・・・・・・・・・・顕在化・・・させたのである。こうして事例をみてくると、終わりなき、ヒロシマ・ナガサキ・ミナマタ・ハンセン病を確認することができる。同じことが異なる時代のなかで何度も繰り返されているのである。それをはからずも〈核災〉は映し出した。半世紀以上も前のあの日、長崎で被爆した作家・林京子の言葉がすべてを象徴的に物語る。

あなたたちは、知っていたのですね(24)

3-2 “ケガレ”と優生思想
 ところで、本節冒頭でひいた「放射能がうつる」の事件は大々的に報道された。だが、「放射能/被曝はうつらない」といった類の“啓蒙”で解決される事柄であろうか。いや問題はもっと複雑であると粥川準二は指摘する。たとえば、ある人が不幸にも福島第1原発の近くである程度の放射線を浴びてしまったとしても、それが他人にうつることなどはありえない、だから・・・その人を差別してはならない、と私たちは理解しがちである。だが、そこには陥穽があるだろう。放射線被曝はうつらないから差別してはならない、という論理の背景には、うつりうる病気、すなわち感染症であれば差別してもよい、という前提がある(25)

 かつて、ハンセン病患者にたいしてたいへんな差別があった。それに対して、ハンセン病は感染力が低いので差別してはならない、という批判があるのだが、その背景には、感染力が高い感染症にかかった患者であれば差別してもよい、という前提があったのではなかったか。つまり異なる時代のなかでよく似た構造が繰り返されているのであり(26)、このような問題にたいし“啓蒙の言葉”は答えることができない。むしろ、薬であるどころか、毒にすらなろう。いつの時代も「前提」を共有するマジョリティと権力との共犯関係のうちに“私たち”の「不安」は鎮められてゆく。そして差別は固定化されてゆく。こうした構造は前節でみてきたものとも重層するとともに、そこで見え隠れするのはやはり優生思想だ。

 時代の暗部をたどるに、“ケガレ”という深淵にたどりつく。もとよりケガレの観念は優生思想と密接な関係にあるのだが、「放射能」とはいわば無限のケガレというものを象徴しているのではなかろうか。たとえば、波平恵美子は、ケガレ観念を次のように整理している。①衛生的に不潔なもの、②必ずしも不潔でなくでも醜怪なもの、たとえば不具や皮膚病(まさに、事例では皮膚病の女の子が治療拒否にあった)、③死のイメージ、④自然から受ける損害のすべて、⑤人間社会の秩序を乱すもの(27)。これらすべてを「放射能」は備えていると言えるかもしれない(28)。そして、〈核災〉によって、このケガレを被災地は一身に背負って、いや背負わされたのである。象徴的な出来事として「陸前高田の松」という事件があった。

 概要はこうである。津波で流された岩手県陸前高田の名勝「高田松原」の松を京都市の五山送り火で燃やす計画が中止となった。薪から放射能が検出されなかったにもかかわらず、被曝を恐れる声が相次いだためである。ところが今度は京都市に「風評被害」などの抗議が殺到した。そこで、再度新たに薪を取り寄せたが、今度は薪の表皮から放射性セシウムが検出された。計画は再度中止となり、門川京都市長は記者会見で謝罪した。薪は、被災者が犠牲者の供養や復興への祈りをこめて言葉や名前を記したものであった。

 これもまた、ケガレ意識がもたらしたものではなかろうか。ただし、この事件では、僧侶ではなくて、むしろ一般の住民から反対があったという点に注意しよう(29)。かつてスーザン・ソンダクが『隠喩としての病い』で語ったように、この場合、「放射能」ないしは被曝そのもの・・・・というよりも、被曝や放射能をめぐるイメージであったり、それが象徴するものこそが、当事者である被災地の人たちをいっそう追い詰め苦しめたという事態が起こった(30)。いわばケガレを背負わされたのである。福島のある女性は語る。

私たち結婚なんてできねえんだべな。もし運よく結婚できても、子どもなんか産めね。どんな子ども産まれるか、わかんねえもの。

 こうした語りは、インターネットなどではかなりみられた。まさに〈核災〉の暴力によって発せられた〈いたみ〉の声以外のなにものでもない。だが他方で、堤愛子は「あえて言わせてください」と前置きした上で、次のように言う。

 もちろん健康被害はない方がいい、でも、「障害児が生まれることは怖い」「障害児を産むかもしれない女性とは結婚したくない」という考え方に、私は昔から感じている「優生思想」や「女性差別」が、ほとんど変わらずに根付いていると感じてしまうのです。そして被災地の女性たちが自ら「放射能のせいで子供を産めない」と発言してしまうことは、「福島の女性とは結婚できない」という無責任な風評と表裏一体の関係となって、優生思想と女性差別を強化してしまうのではないでしょうか(31)

 たしかに、このような福島の女性の語りは、まさに切実な〈いたみ〉の声ではあるのだが、はからずもこうした語りが反復されることによって、優生思想と女性差別が一層強化されていくという面は否定できない。“正義”の言葉である。だが、……というところで私は身動きがとれないでいるが、時代は待ってはくれない。こうした状況に追い打ちをかけるかのように「新型出生前診断」なるものが開始された。

4 ふたたび、狭義の〈いのち〉の選別――「新型出生前診断」と「不安」の重層――

4-1 新型出生前診断
 「妊婦血液でダウン症診断 精度99%、来月にも」。2012年8月29日、『読売新聞』は一面トップで新型の出生前診断を報じた。その後、私たちが目にするメディアには、「妊婦血液」「ダウン症」「99%」という3つの言葉が洪水のように溢れかえることになる。こうしたなか、2013年4月から「新型出生前診断」(無侵襲的出生前遺伝学検査)が始まった。簡易、安全、そして「99%」こそがうたい文句であるかのように。妊娠10週から検査をうけることができ、わずか20ccの採血で「リスク」を回避できるという(32)。この開始の時期は偶然であろうか。私たちは、〈核災〉による〈偶然〉という自然さの破壊を2で確認したが、あたかも歩調をあわせるかのごとく、いまやバイオテクノロジーによってもまた、限りなく〈偶然〉は飼いならされようとしている。チェルノブイリの〈核災〉では、約5年後をひとつのピークとして、ベラルーシで先天異常の赤ちゃんが産まれたというが、権力は「新型」を通じて、何を〈収束〉させるつもりなのか。見えない恐怖を、見えないうちに、見えなくさせようとはしていまいか。

 もとよりこの「99%」というのは、たとえばダウン症の胎児が100人いれば99人わかるという意味であり、検査の結果陽性ならば99%の確率で染色体に異常があるというわけではない(33)。だが、4-6月の間に検査を受けた妊婦が約1500人と当初研究機関の予想に反し1.5倍となり(34)、開始から半年が経過した11月、ある報告が飛び込んできた。この時点で、検査を受けた妊婦約3500人。陽性だったのは全体の1.9%にあたる67人。このうち羊水検査など確定診断を受け、陽性が確定し、流産もしなかった妊婦が54人。そのうち、53人が中絶を選んだ。一人は、調査時、妊娠を継続するか否かを悩んでいたという(53人の内訳は、ダウン症33人、13トリソミー4人、18トリソミー16人)(35)。陽性と確定した妊婦から、「産む」という結論に至る女/母がいなかった事実をどうみるべきか。

 たしかに、「新型」は国家による露骨な強制ではない。「妊婦さんの決定だから」という言葉に、私は返す言葉をもたない。だが、個人的な決断が一致するところの集団的結果をみるならば、端的に、抑制的優生学(=リベラル優生学の現勢化)であろう。また、そもそも実質的な意味で女性の自由意志による決定となっているのだろうか。DPI女性障害者ネットワークは、女性が検査を“選択”する背景に目を向ける必要があるとして次のように言う。「障害をもつ子の子育てが、そうでない場合に比べて困難な中で、検査の方法だけがあり、産むか産まないかの決断を女性が迫られるなら、子が障害をもって生まれることを女性に回避させる圧力となります。自由な意志とはいえません」(36)。私たちは、不作為のなかにある作為に、言い換えるならば、生-権力/生-政治の磁場に鈍感であってはならないであろう。

4-2 標的にされる〈遅れ〉
 それにしてもなぜ、障害児とりわけダウン症の胎児がこれほどまでに狙われるのか。横浜市大の調べによれば、胎児の染色体異常を理由とした中絶の件数が2000年から2009年までの10年間で、その前の10年間に比べて倍に増え、なかでもダウン症を理由に中絶した件数が、368件から1122件と急増しているという(37)。このことは、これまでみてきた〈核災〉があぶり出し顕在化させたものと対応している。「新型」が開始される以前の2012年11月13日、日本産婦人科学会主催で公開シンポジウム「出生前診断――母体血を用いた出生前遺伝学的検査を考える」が開かれた。最後に登壇した日本ダウン症協会の玉井邦夫は次のように問いかけたという。

 なぜ、ダウン症がここまで、標的になるのか?(……)
 なぜなのだろうと考えたときに、ただひとつたどり着ける結論は、彼らが立派に生きるからです。しっかりと何十年かの人生を生きるから。だから、この子たちは、生まれてくるべきかどうかを問われるのだとしたら、いったい私たちが問うているのは、どういうことなのか?(38)

 長く生きるから、生きるからこそ、標的となる。私たちはそういう社会に生きているのである。ダウン症の特徴のひとつに精神的発達遅滞・・があるが、生産力至上主義の現代において、それは費用対効果からみてコストとして指定され、リスクとしてみなされる。合理的・効率的判断のできる自己意識をもった“人格”が想定されるとき、〈遅れ〉は許されない。“人格”から、生を、〈いのち〉を、奪還することはできないだろうか(39)。高度情報化社会の現在、もはや速度は光の〈速さ〉となった。だが、私たち自然的人間は、健常者も障害者もみな光の速度などに追いつくことはできない。にもかかわらず、時代は〈速さ〉をもとめてやまない。速度と権力の癒着に注意しよう。

 “人格”を想定するとき、端的に、〈遅れ〉は標的となるのである。そして、この〈速さ〉を、自然からかけ離れた人工の光を、誰かを犠牲にしてつくってきたものこそ、原子力発電所にほかならない。私たちはいま一度、議論を〈核災〉へと折り返そう。

4-3 〈核災〉と新型出生前診断が重なる場所
 私たちが〈核災〉によって実感したものとは何であったか。それは、ウルリッヒ・ベックがいみじくも指摘しているように、「極めて「可能性の低い」出来事でも起こることがあるという基本的な洞察」であり(40)、私たちは、まさにリスク社会のただなかを生きている、ということを実感したのではなかったか。震災直後、東浩紀はいちはやく言い放った。

意味を失い、物語を失い、確率的存在に変えられてしまった……(41)

 原発はただ存在するだけで、私たちの生を確率によって汚染する。まさに、斎藤環が言うように、政府が繰り返し述べた「ただちに健康に被害はない」という言い回しは、私たちの生がすでに確率にゆだねられてしまったことの公式的な宣言でもあったのだ(42)。喫緊の課題である低線量の内部被曝とはいうまでもなく確率の問題であると同時に、確率による生の汚染とは、出生前診断という装置のアナロジーでもあろう。いまや、〈速さ〉が求められる現代社会のなかで、リスク回避は至上命題である。そして、放射能の「不安」ということで決定的に重要なのは、それが「回避可能・・・・であるからこその不安」ということではなかろうか(43)。このような“構え”がリスク社会の実感のもとで内面化し、これまでみてきた「不安」――障害のある子は不幸であり、あるいはコストでありリスクであるという価値規範および差別の構造――が重層するとき、「リスク」を回避してくれる「新型出生前診断」という装置は何を幻惑するだろうか。端的に、「99%」という“必然”への衝迫はいっそう強化されるのではないか。

 私たちは、〈核災〉と「新型」が「切れ目」の極北で実は共犯関係にあることを見逃してはならないであろう。「単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核による構造的な人災〉」と若松丈太郎の〈核災〉の定義を引いた所以である。いま、かつて、『わいわいがやがや 女たちの反原発』で語った堤愛子の言葉が思いだされる。

「障害児」として生れるはずだった子が、胎児診断によって中絶されていくことも、「健常児」として生れるはずだった子が放射能で「障害児」とされていくことも、どちらも「人間の科学技術によって、ありのままの生命を否定している」という点で、共通しているのではないだろうか(44)

 「核技術」という意味では、出生前診断というバイオテクノロジーも〈核発電〉や〈核爆弾〉と同根ではなかろうか(45)。核の影とは、ものみな歴史の影である。繰り返し、何度でも引こう。

その産道は/ついに原子力発電所までつづいていたのか

むすびにかえて――中絶ケアという課題――

 以上、本章では〈核災〉がはからずもあぶり出した「内なる優生思想」と権力との共犯関係に着目し、狭義の〈いのち〉の選別と広義の〈いのち〉の選別が地続きの関係にあるという点、そして今後、〈いのち〉の係留点としての女性身体が管理の拠点としての暴力にいっそうさらされていくのではないかという点を素描してきた。言い換えるならば、生-権力/生-政治論的な観点から、〈核災〉と〈いのち〉の選別の連続性を問うてきたわけであるが、それではかくいう私は“私たち(=権力と共犯関係にあるマジョリティ)”の外部に立っているのだろうか。否、森岡正博の問いかけに耳を傾けたい。

 赤ちゃんが生まれたときに、五体満足なのを確認して、思わず安堵してしまう気持ちを、心の中にもっていない人間がどのくらいいるだろうか(46)

 私自身、「思わず安堵」した一人である。これまでみてきた、狭義と広義の〈いのち〉の選別の重層的構造を鑑みるとき、端的に、加害者ですらあろう。当然、私の“批判”の言葉は私自身にはねかえってくる。森岡は言う。「この差別意識は、この社会の底辺にいつまでも存在し続ける人間精神の基調低音であ」り、「われわれの心の中にも、「障害を理由にして」中絶をしてしまう自分が存在していることを認めるべきである。たとえそれが、現に生きている障害者を無力化する結果となるのは分かっていても、選択的中絶を選んでしまう自分がいる。その事実を、謙虚に認めるところからスタートするべきではないだろうか」と(47)。このことにどれだけ自覚的であれるか。自らが向き合うことができるか。〈いのち〉の選別をめぐる問題系とは、ここにすべてがかかっているのではなかろうか。

 とするならば、中絶一般や選別的中絶が倫理的に正しいとか正しくないとかいう“正義”の言説は、自らがどのような位置から発しているのかということこそが問われねばならない。このような点に無自覚な“正義”ならば、どれほどの意味があるだろう。もとよりわが国では、刑法堕胎罪と優生(母体)保護法というダブルスタンダードのもとで中絶は罪悪視され、かつ女性身体は人口の量と質の調節弁としての暴力にさらされてきた歴史がある。だからかつて、女たちはこの位置から、“産む産まないは(わたし)が決める”と言わねばならかった。ゆえに、“正義”の意味は確定したのである。だが他方で、女たちは、母たちは、「生命を大切だと思わないのか」と、あるいは殺人者と、あるいはまた優生思想の体現者として批判にさらされてきた。この批判は「思わず安堵」した多くの“私たち”に支えられ、そして自らの「安堵」は棚上げにされた位置から発せられてはいなかったか。

 臨床に携わる長谷瑠美子は言う。「話を聞いている中では安易な気持ちや簡単に中絶を選択している女性は「いない」と断言してよい」(48)。自律(autonomy)という観点からみれば、中絶とは自らの身体を自らが決定した経験でありエンパワーメントにつながりうる可能性を宿しているにもかかわらず、こうした〈語り〉についての文献がわが国では驚くほど少ないのは何を物語っているだろうか。硬直した胎児対母という二項対立図式のもとで、女の皮膚の下の経験は沈黙を強いられてきた。長谷によれば、「カウンセリングのなかで一番困難な課題は「お腹の赤ちゃんを殺してしまった」という罪責感と、どのように付き合っていくか」だという(49)。この罪責感・罪悪感は誰が植えつけるのか。

 本章でみてきたように、今後「選ばないことを選ぶ」ことはますます困難になっていくだろう。「思わず安堵」した“私たち”が選別的中絶を倫理的に云々すること以前に、着目すべきは、いまや女たちが、母たちが二重の意味で罪責感・罪悪感をいっそう抱かされることになってしまうということではないだろうか。すなわち、第一に、そもそも中絶が罪悪視されている日本の社会構造のもとで中絶をしたこと自体、第二に、かつ存在のにおいて選んだ(選ばされた)ことである。中絶一般にしろ、選別的中絶にしろ、現実に中絶する女性たちがいるのならば、いま、〈中絶ケア〉という言葉が喫緊の課題として浮かび上がる(50)。そしてそれは、女性たちの〈語り〉がひらかれる形ではじまらなければならないのではなかろうか。

(1) 粥川準二『バイオ化する社会――「核時代」の生命と身体』青土社、2012年、22頁、参考。
(2) 若松丈太郎『福島核災棄民――町がメルトダウンしてしまった』コールサック社、2012年、79頁。
(3) ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ――知への意志』渡辺守章訳、新潮社、1986年、175頁。
(4)  KIDS VOICE編『福島の子どもたちからの手紙』朝日新聞出版、2012年、17頁。ただし、初出の『AERA』版では、「わたしは、ふつうの子供を産めますか? わたしは、何さいまで生きられますか?」となっており(山根祐作編「福島の子どもたちからの手紙――「ふつうの子供産めますか」」『AERA』214(40)、朝日新聞出版、2011年、12頁)、のちにまとめられた同書(『手紙』)では「わたしは、ふつうの子供を産めますか?」が削除されている。
(5)  齋藤英子「ママは帰っていわき守って」岩上安身 『百人百話 第1集――故郷にとどまる 故郷を離れる それぞれの選択』三一書房、2012年、159頁。
(6) 2013年9月8日、『毎日新聞』は福島での災害関連死が直接死を上回り1539人となったことを報じた。
(7)  藤井貞和『水素よ、炉心露出の詩 三月十一日のために』 大月書店、2013年、24頁、参考。
(8) 安竜昌弘「「3.11」連続特集(四)――放射能に分断される福島 常道化した被曝後の世界」『週間金曜日』20(11)、2013年3月23日、17頁。
(9) 玉井真理子は、「狭義の出生前診断」と「広義の出生前診断」は概念上区別されうるとし注意を促している。前者は「胎児における特定の疾患およびその可能性を発見するために、人工妊娠中絶が可能な妊娠二二週未満に結果が出ることを前提にして行われ」、後者は「胎児の順調な成長や妊婦の健康をサポートするために役立ち、さらに、分娩後の適切かつすみやかな医療的対応のために必要な情報を増やしてくれるものである」(玉井真理子「出生前診断における「機会の平等」――「知らせる必要はない」問題再考」『思想』979、岩波書店、2005年、112頁)。
(10) 小松美彦の解説によれば、生-権力(bio-pouvoir)とは、フーコーが『性の歴史Ⅰ――知への意志』(前掲)で提唱した概念である。権力形態の歴史を考察したフーコーは、近代になって(とくに18世紀から19世紀にかけて)、旧来の「殺す権力」(生殺与奪権)に「生かす権力」が加わり、後者が中心を占めるようになったと見る。この「生かす権力」が生-権力である。権力は一般通念に反して、生殺与奪の権利を専有するだけではなく、人びとを生かすようにも発動するようになったというのである。そもそも古典的な主権者(権力者)は、実は死なせることと生きるに任せることしかできない。そうである以上、「生殺与奪権」とはつまるところ、「殺す権力」の謂いである。他方、近代に新たな生-権力は、「生命に対して積極的に働きかける権力、生命を経営・管理し、増大させ、増殖させ、生命に対して厳密な管理統制と全体的な調整とを及ぼそうと企てる権力」(フーコー、前掲、173頁)にほかならない。したがって、近代にあって、「死なせる・・・・か生きるままにしておく・・・・・・・かという古い権利に代わって、生きさせるか死の中へ廃棄するという権力が現れた」(同右、175頁)のである。そして、フーコーは、生-権力を具体的に行使する政治のあり方を生-政治(bio-politique)と総称し、近代の生-政治の中に重なりあう2形態を見いだした。ひとつが、監獄、学校、病院などにおける規律訓練によって、個としての人間(身体)に向けられるものであり、またひとつが、出生率、寿命、公衆衛生などの調整管理によって、集団としての人間(人口)に及ぼされるものである。着目すべきは、「生きさせる」か「死の中に廃棄する」かと、フーコーが人間を截然と二分している議論の原点である。生-権力は人間を生きさせるわけであるが、その前に人間を生きるに値する者と値しない者とに弁別している、言い換えるならば、「切れ目」を引いているのである(小松美彦・香川知晶編『メタバイオエシックスの構築へ――生命倫理を問いなおす』NTT出版、2010年、14-15頁)。
(11) 野村昌二「放射能と『妊婦の心』」『AERA』24(36)、 朝日新聞出版、25頁。
(12) 同右。ほか、核戦争防止国際医師会議ドイツ支部『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害――科学的データは何を示している』松崎道幸監訳・矢ヶ崎克馬解題、合同出版、45頁、参考。
(13) 本多創史 「再帰する優生思想」赤坂憲雄・小熊英二編『「辺境」からはじまる――東京/東北論』 明石書店、2012年、116、121頁。
(14) 大橋由香子 「しがらみ、なりゆき、あきらめの中での、一人ひとりの選択を大切にしたい――母性・フェミニズム・優生思想」近藤和子・大橋由香子編『福島原発事故と女たち――出会いをつなぐ』梨の木舎、2012年、160頁。
(15) 立岩真也 『私的所有論〔第2版〕』生活書院、2013年、338-343頁。林千章「(わたし)と身体――フェミニストの自己解放の拠点」『女性学』9、2001年、89頁、「出生前診断という問題――女性運動と障害者運動の対立を解きほぐすために」『女性学』17、2009年、125頁、参考。
(16) 金井淑子「ポスト・フクシマと応用倫理学――福島で被曝した男女のリプロダクティヴ/ライツをめぐって」『立正大学文学部論叢』137、2014年、16頁。
(17) 本多創史、前掲、116頁。
(18) 同右、118頁、参考。本稿では森岡正博の優生思想の定義にしたがう。「優生思想とは、生まれてきてほしい人間の生命と、そうでないものとを区別し、生まれてきてほしくない人間の生命は人工的に生まれないようにしてもかまわないとする考え方のことである。これは、優生思想のもっとも中核的な定義である」。また森岡によれば、優生思想の定義を「中核的な優生思想」の枠内で拡張するならば、次のようなものも枠内に入るとされる。すなわち、「優生思想とは、私の前に現われてほしい人と、そうでない人とを区別し、現われてほしくない人には会わなくてすむようにあらかじめ人口的な細工をしてもかまわないとする考え方である」。この文中の「現われる人」を「生まれてくる子ども」に置き換えれば、最初の定義と同じになる。だが、生まれてくる子どものことだけに限定せずに考えたら、どうなるか。たとえば、あの人が戻ってくると私は困難を背負うことになるだろうなと思っているような人物がいたとする。その人物が、私の前に戻ってこないようにするために、人工的な策略を行ないたいと考えることは、れっきとした優生思想である。そのような考え方の根底にあるものは、選択的中絶の根底にあるものと同じであるという(森岡正博『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』勁草書房、2001年、286-356頁)。このことはのちに本章でみる広義の〈いのち〉の選別とも関連する点である。
(19) たとえば、日本産婦人科医会研修委員会が発行した「放射能汚染に関する基礎知識と現実的対応」(2011年4月27日版)では、「人間が、放射線を浴びてもまったく健康影響が現れない放射線量は、総線量一〇〇ミリシーベルト以下である」とされる。このガイドラインがICRP勧告に忠実に100ミリシーベルトにこだわるのは、それを閾値として、胎児、乳幼児に障害や先天異常(奇形)をひき起こすからである(本多創史、前掲、108-109頁)。
(20)  米津知子「『障害は不幸』神話を疑ってみよう」『インパクション』181、インパクト出版会、2011年、42頁。
(21)  野崎泰伸「『障害者が生まれるから』原発はいけないのか」『部落解放』655、解放出版社、2012年、14頁。
(22)  朝日新聞出版社編「『放射能がうつる~!』イジメ始まった福島差別の愚」『週刊朝日』116(19)、朝日新聞出版社、2011年、131-132頁。
(23)  小学館編「絶対に許せない いわれなき『放射能差別』」『週刊ポスト』43(16)、小学館、2011年、41-42頁。
(24) 林京子「講演 被爆を生きて」新・フェミニズム批評の会編『〈3・11フクシマ〉以後のフェミニズム――脱原発と新しい世界へ』 御茶の水書房、2012年、13頁。
(25) 粥川準二、前掲、234-235頁。
(26) 同右、235頁。
(27) 波平恵美子『ケガレの構造』青土社、1988年、26-27頁。
(28) 斎藤環『原発依存の精神構造――日本人はなぜ原子力が「好き」なのか』新潮社、2012年、31-32頁、参考。
(29) 同右、32頁、参考。
(30) スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い エイズとその隠喩〔新装版〕』富山太佳夫訳、2006年、146頁。
(31) 堤愛子「反原発運動に潜む優生思想」『論叢クィア』5、42-43頁。
(32) 「新型出生前診断」では、妊娠10週から検査可能なため、結果がでるまでに2週間かかったとしても中絶が許されている21週6日までには一定の時間があり、「考える時間」が与えられる。また、もし中絶を選ぶにしても、早期であればあるほど、妊婦への身体的な負担(ならびに経済的な負担)は小さくてすむ。とはいえ、中絶を選ぶ場合、妊娠12-21週となるため、中期中絶=死産としての扱いをうけることになる。
(33) 厚生福祉編集部「新型出生診断、来月にも」『厚生福祉』5977、2013年、11頁。
(34) 『読売新聞』2013年7月16日付。
(35) 『毎日新聞』2013年11月22日付。なお、1年間で「新型出生前診断」をうけた妊婦は約7800人である(『読売新聞』2014年5月1日付)。
(36)  利光恵子「血液検査で子どもの障害がわかるって、それって、いいこと?」『部落解放』678、解放出版社、2013年、55-56頁。
(37)  以下、出生前診断で胎児の異常がわかったことを理由にした中絶件数

 1990~1999年2000~2009年
無脳症938件 1,180件 
水頭症123件 173件 
胎児水腫507件 1,341件 
NT(頸部浮腫)526件 1,077件 
ダウン症368件 1,122件 
その他2,919件 6,813件 
合計5,381件 11,706件 
横浜市立大学国際先天異常モニタリングセンター調べ(『読売新聞』2011年7月22日付)

(38) 坂井律子『いのちを選ぶ社会 出生前診断のいま』NHK出版、2013年、162頁。
(39) このような点について、本章では学説史・研究史的文脈との接合を通じて明示的に展開することができなかった。だが、私が〈核災〉と〈いのち〉の選別を通じて問いたいことのひとつには、ピーター・シンガーやH.トリストラム・エンゲルハートらに代表される生命倫理学説におけるパーソン論への疑義がある。パーソン論からこぼれ落ちる存在が倫理的に配慮されなくてもよいという言説とは、そもそもパーソン論の内部で倫理的に配慮されうる主体によって形成されているのである。こうした点については、野崎泰伸『生を肯定する倫理へ――障害学の視点から』白鐸社、2011年、山根純佳『産む産まないは女の権利か――フェミニズムとリベラリズム』勁草書房、2004年を参照されたい。
(40) ウルリッヒ・ベック「福島、あるいは世界リスク社会における日本の未来」鈴木宗徳訳、『世界』819、岩波書店、70頁。
(41) 東浩紀「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」『思想地図beta』2、contectures、2011年、11頁。
(42) 斎藤環、前掲、57頁。
(43) 小西聖子「見通しを持でずにさまよう被災者の心」『臨床精神医学』40(11)、1434頁。
(44) 堤愛子「「ありのままの生命」を否定する原発に反対」三輪妙子編『わいわいがやがや 女たちの反原発』労働教育センター、1989年、101頁。
(46) 原子力という「核技術」とバイオテクノロジーという「核技術」との間には、意外なことに、歴史的な交差点がある。ヒトゲノム計画は、放射線がDNAにもたらす影響についての研究から始まり、最初に計画を立てて予算を出したのは、アメリカのエネルギー省である(粥川準二、前掲、79頁)。
(47) 森岡正博『生命学に何ができるか――脳死・フェミニズム・優生思想』、前掲、350頁。
(48) 同右、350頁、348頁。
(49) 長谷瑠美子「中絶前後のカウンセリング」『助産雑誌』57(3)、14頁。
(50) 同右、17頁。
(51) 近年、このような点については、塚原久美『中絶技術とリプロダクティヴ・ライツ――フェミニスト倫理の視点から』勁草書房、2014年の研究がある。参照されたい。